vol.2 初演の『ラプンツェルたち』から今へ

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(撮影:伊藤雅章)

 かもねぎショットでは、2016年11月と2017年の2月、伊藤多恵さんの振付・構成・演出による連続公演『ラプンツェルたち~うろ覚えの童話集~』が決定、前売開始となりました。

 この作品の初演は2005年。今回も出演いただくダンサーの千葉真由美さん、公門美佳さん、パントマイマーの山本光洋さん、かもねぎショットの栗栖、高見等、総勢14名が出演し、今はなくなってしまった新宿シアタートップスの空間を縦横無尽に使って伊藤さんが構成・振付・演出をしました。

 その初演時のチラシには、高見はこう記しています。
『確かに最後まで読んだはずだが、一部始終を正確に覚えている童話は少ない。その代わり、鮮明に記憶に残っているシーンはいくらでもある。「王子様が迎えにくる」幸せな結末は容易に想像がついたが、不幸せなシーンは無数にバリエーションがあり、残酷な子供心に、新しい「不幸」、初めて知る「不幸」に心躍らせた。(中略)うろ覚えなくせに鮮明な童話たちを集め、記憶に残っているシーンだけを、かつて想像力が掻き立てられるに任せて育て上げたままに描く。』

そうしてできた作品は公演中も日に日に人気が高まり、多くの方に見ていただきました。

童話で大人が泣く

/初演のアンケートでまず目立つのは、泣けたことへの感想です。
「涙が出た」「笑いながらも泣きました」「無意識のうちに涙ボロボロです」「なぜか泣けてきました。なぜでしょう」「ピュア―でしかもこっけいさも感じながら泣けた」など、思いがけず泣いている自分に驚いた、あるいは泣けたことが新鮮でおもしろい、すがすがしいと感じているような感想が多く見られます。
有名な童話で知っている、別に泣くほどの話ではないと安心して芝居をおもしろく観ていたはずが、その表現や作品の展開に、それぞれの童話の核心がダイレクトに飛び込んできた。そして、それに自分が無防備なまま反応したのでしょうか。泣いたという感想は男女問わず多くいただいていますね。
/私たちは泣いてもらおうというより、ゾクゾクっと怖がってもらおうとして創ったのですが(笑)。童話は残酷なものが多く、その残酷さに魅かれている自分に出会うものだったりする、と思っているんですね。「泣けた」というたくさんの感想からはむしろ、ああ皆、何か抱えて生きているんだなぁという思いを新たにしました。若い人は若いなりに、年を重ねればそれなりに、誰にも言えずに抱えているものの一つや二つは、皆あるんだなぁと。
/悲嘆を感じた時も我慢せずに泣けた方がいいといわれますが、それほど深い悲しみでなくても、ふとしたことで泣けると、ちょっと鎧を脱ぐことができるようなことがあると思います。映画などなら、ある適度、泣ける話であることが予想もされていると思いますが、童話をもとにしたかもねぎショットの芝居で、なんで泣いてしまったのだろう?と、考えることもおもしろいと感じられている様子が観客の方々の感想からも伝わってきます。
/私の友人は、初演の作品群の中の『幸福の王子』について、「あの王子は街の人たちを幸せにすることばかり考えて、すぐ近くの大事な存在が死にかけていることにも気づかない。悲しい!」と泣きながら怒って、そのあと「でも、そういうことってきっと私たちの日常にもあるよね」(笑)。あんなに短い作品なのに、こんなふうに涙を流してくれて…と私も胸が熱くなり、今も覚えているくらい興味深かったです。
/自分が普段意識していなかったけれども感じるところがあった、自分のピュアな部分が動いた、というようなことから、作品のおもしろさと、それを見た自分の両方を行ったり来たりしながら考えてみる、という楽しみ方ですね。泣けたことがよかったと感じているのは、特に男性は、日常ではなかなか泣けることが少ないからでしょうか。

「うろ覚え」のおもしろさ、こわさ

/栗栖さんは初演に出演して、どんなことが印象的でしたか?
/まだ若かったので(笑)、もう何が何だかわからず、ただただ、伊藤さんと高見さんが創りだす楽しくも不思議で魅力的な世界を体現できるよう四苦八苦の日々でした。四苦八苦なんですが、つらいのではなく楽しかった。人の体と台詞と箱(※箱が何かは見てのお楽しみ)だけで、こんな世界ができ上がるんだということがとにかくおもしろかったです。
/童話を文字で読んで漠然とイメージしていたものが、伊藤さんと高見さんの独自の視点と表現によって視覚的にも鮮烈で非常におもしろいものとして出てくるのがこの作品の魅力だと思います。
バレエや大劇場での舞台、あるいは映画などのファンタジー作品では、装置や効果を最大限にして作りこむと思いますが、かもねぎショットの『ラプンツェルたち』は反対にぎりぎりまでシンプルにすることで象徴的に描くおもしろさ、と言えるのではないでしょうか。
/『ラプンツェルたち』は、サブタイトルにもあるように、「うろ覚え」であることが要なんですね。私は日常でもほとんどのことがうろ覚えですけど……例えば、20年ぐらい前にベルリンに友人4人で少し住んでいたことがあって、地下鉄に乗ってふと気がついたら、車両中のドイツ人に見られていた――私たちが借りていたアパートの洗濯機が90度の高温で回ることを知らなくて持っていた服がみんなグレーになっていたので、「薄汚い4人連れの東洋人」だと思われたんでしょうけど(笑)――そのときの目だけ今も覚えていたりする。
伊藤さんの演出は、うろ覚えの箇所を消していきます。鮮烈に記憶に残っているイメージが際立って戦慄が走ることがあるんですね。際立つものが連想されて、20年前の「目」がパッと浮かんだからかもしれません。そんなふうに一瞬にして遠くのイメージに飛べるのが、象徴的な表現のおもしろさですね。
/それで観る方にとっても響き方が異なって、自分が心うごかされたことをアンケートに書いてくださる、友人に話したくなる、あるいは自分の中で反芻するのだと思いますが、井草さんは、この初演を見て、かもねぎショットに入ることを決意したのですよね。それから11年、全作品に出演してきて、いよいよ待望の『ラプンツェルたち』に出演するわけですが、初演を観ての感想と、今回の意気込みは?
/初演の「ラプンツェルたち」は初めて体験する不思議な空間と時間で、観ていて、あっという間でした。うろ覚えですが(笑)、フワフワとドキドキしながら家路についたことは覚えています。今回の連続公演は、初演の主な童話に新作を加えて、新構成、新演出となりますので、私も新鮮な風を吹き込めるようにがんばります。

/新しいキャストの皆さんと稽古が進んでいます。若くはなくなった(笑)栗栖、新鮮な風を吹き込んでくれる井草にも、ご期待いただきたいと思います!

舞台のおもしろさ、表現の可能性について、また次回も興味津々なテーマで探ってまいります。