雑記。―『古事記』にふれた―

4月に鹿児島で開催される某イベントのお手伝いを、ほんの少しさせていただいた。
地元に伝わる神話を紹介するパフォーマンスの、ナレーション台本のリライトだ。「神話」など全くの門外漢なので、現代語訳された『古事記』を読んでみることにした。そもそも『古事記』の1巻目には「神話」が書かれているということすら知らなかったくらいだ。
すると、怖ろしい場面に出会った。現代語訳にもよるのかもしれないけれど、あまりにも怖い。ボカシたりウヤムヤにしたりせず、直截で生々しくぬめぬめしていた。私は一人小声で悲鳴をあげながら、椅子から飛び上がった。予想もしていなかったショックのため、「一応覚えておかないと」とそこまで賢明に記憶しておいた神様たちの名前や、神様関係(登場人物は皆、神様なので)が全部吹き飛んでしまい、もう一度ほぼ最初から読み返さなければならなかった。『古事記』恐るべし。こんなに怖いものだとは知らなかった。
幸い、今回の「地元に伝わる神話」は、件の怖ろしい場面とはあまり接点がなさそうだった。そうだとわかると、かなり安堵してリライト作業を開始した。

リライトと言っても、大したことをするわけではない。ただ、「一度聞いてスッと頭に入るように、わかりやすく」と頼まれただけだ。自分で声に出して読んでみて「ん?」と思った箇所を「はいはい、ここね」と、書き直していく。ところがそのうちに、かなり脚色してしまっていることに気がついた。こんなに脚色しては、「土地に伝わる神話」ではなくなってしまう。あわてて、少し戻す。
「えええ!」とのけぞって笑った箇所もあった。この地に天から降り立った神様が、コノハナノサクヤヒメという、山の神様の娘に一目ぼれして結婚するのだが、あまりにも早くに子供が授かったものだから「本当に私の子か?」と疑い、疑われたコノハナノサクヤヒメは、なんと、「産屋に火を放ちました」と書いてある。「燃え盛る炎の中で三人の子供を産み、身の潔白を証明しました」と書いてある。想像がふくらみすぎる。いろいろあり得ないし。でも、ここを掘り下げると、また「土地に伝わる神話」から遠ざかってしまうので、さらりと流すことにする。
そのうちに、「土地に伝わる神話」は、『浦島太郎』のようになってきた。先の炎の中で生まれた三男が、なくした釣り針を探しに「竜宮城」に行くことになる。そこで海の神様の娘に一目ぼれして結婚し、あっという間に3年が過ぎ、それから釣り針を探さなくてはと思い出すわけだが、海の神様に相談すると、海の神様が魚に聞いてくれ「赤いタイがのどに何か刺さって物を食べることができない日が3年続いている」という情報を得る…と続く。さすがに、このあたりは少しくらい脚色してもかまわないだろうと思い、海の神様がたくさんの魚たちを集めたことにした。
ワタツミノカミ(海の神)は、さっそく海にいる魚を集め、釣り針を飲み込んだ魚はいないか尋ねました。すると、集まった魚たちが、口々に答えました。
「そういえば、赤いタイが、のどに何か刺さって物を食べることができないそうだ」
「そんな日が3年続いていると、たいそう苦しんでいます」
「あの赤いタイののどに、釣り針が引っ掛かっているのだと思います」
「きっとそうです」
こんな感じ。このようにして、「土地に伝わる神話」というものは、語り継がれるたびに、少しずつ脚色されていくのは致し方ないことだとつくづく実感した。